風景写真家・萩原史郎さん逝去
日本風景写真家協会の仲間でもある、風景写真家の萩原史郎さんが5月21日にお亡くなりになられました。
長野県志賀高原で翌日の撮影ツアーのための下見をしている時に倒れられたそうです。訃報を聞き涙が溢れ出しました。なんということ、信じられない。。
史郎さんと、初めて声を交わしたのは20年近く前の北海道のラベンダー畑でした。
私が撮影していた時に、隣から「花畑に三脚を入れてはいけませんよ」と注意を受け、お互い顔を合せ「あれ、佐藤尚さん?」「あれ、萩原史郎さん?」。私は不注意で伸ばし入れていた三脚の足を畑からひっこめました。他人の悪い所作をきちんと正せるのは偉いなと思いました。たぶん、その頃、史郎さんは日本の風景写真を引っ張っている雑誌の隔月刊「風景写真」編集長を止められフリーの写真家になられたばかりの時期だったかもと思います。
史郎さんは、デジタルカメラでの撮影の先駆者です。
フィルムカメラの全盛期にデジタルカメラが登場して、色や質感など描写力がフィルムカメラに追いついていない時からデジタルカメラの撮影に特化されていました。誰もがその性能に疑問を抱いている時に、誰よりも早くデジタルカメラを使いだされ作品発表をされていました。なので、デジタルカメラの特性をとても理解されていて、他者に写真の説明をする時も理論的でした。アマチュアの写真愛好家さんらに対しての写真指導をたくさんやられていました。国内最大写真イベントの「CP+」のステージで拝見した写真セミナーはわかりやすかったです。
史郎さんは、日本風景写真家協会の副会長でした。
協会に、史郎さんと俊哉さんを誘い入れたのは、私です。10年くらい前かな、電話してね。お願いしたんです。入ってくれませんかーって。快く受けてくれました。前々回日本風景写真家協会展「精密風景」では史郎さんと俊哉さんと私の3人で写真展実行委員をやりました。外部からプロデューサーを招く協会初の試みを中心となって推し進め開催に尽力されました。前例のないことに躊躇する会員たちに「私たちを信じてついてきてください」と会議の席で言って会員の結束を計り引っ張っていきました。将来の会長と誰もが思っていました。成功を収めた写真展の打ち上げを、史郎さん、俊哉さん、いっぱい手伝ってくれた史郎さんの娘さん麻衣ちゃん、私とで、史郎さん宅近くの居酒屋で行いましたが、みんなで弾けましたね。「おつかれさまでしたー!!」超楽しかったです。写真展「精密風景」を通して苦楽を共にしたことが一番の思い出です。
史郎さんとの最近の会話では、「FUJIFILM X-T5 は今の佐藤さんの表現にぴったりなカメラだよ」ととても勧めてくれたのが印象に残っています。
SNSの直近では、あご髭を伸ばした私に「かっこ良くなろうとしてるな」といじってくれました(苦笑)。
写真界に多大な功績を残されてこの世を去られました。
でも、早すぎる死です。
史郎さん、
いつでもどこでも温和丁寧に接して下さいましたね。
ありがとうございました。
別れはとても悲しいです。
冗談言う時のお顔はメチャクチャ笑ってましたね。
近くまでやってきてそっと話してくれる時は優しいお声でしたね。
史郎さんも、俊哉さんも、心の中で生き続けています。
どうぞ安らかにお眠りください。
信じられない。ホントにもういないの。。